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HOME > フォトストーリー > フォトストーリー 写真に隠された真実 STORY.41 「上野東照宮に(広島・長崎の)原爆の火燃え続ける」

上野東照宮に(広島・長崎の)原爆の火燃え続ける

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.41
「上野東照宮に(広島・長崎の)
原爆の火燃え続ける」

 ご存知の方は少ないかもしれないが、上野公園の動物園の隣にある上野東照宮で、広島と長崎に落とされた原爆の跡から採火した「原子の火」が燃え続けて、平和を祈っている。2017年の連休の一日、時間を見つけて、上野公園に向かった。

hidden story

 

 動物園方面の上野駅の改札口を出て、動物園と上野精養軒の間にある大石鳥居を潜り、左手に春のぼたん祭を開催している「ぼたん苑」を横目に、右手は五重塔を仰ぎ見て、参道を進むと、唐門が見えてきて、その20mぐらい前か、両側に銅灯籠が立ち並ぶ中の右側に、「広島・長崎の火」があり、中国人ばかりか欧米人もたくさん参拝していて、彼らの多くも立ち寄っている。
 その参道側に以下の説明板が立っている。


今日も大勢の人たちが訪ねている

「広島・長崎の火」の由来
 1945年8月6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下、一瞬にして十数万人の尊い生命が奪われました。そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。
 広島の惨禍を生きぬいた福岡県星野村の山本龍雄さんは、叔父の家の廃墟に燃える原爆の火を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。しかし、長い月日の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになり、1968年8月6日、星野村は、この「広島の火」を「平和の火」として、村人の手によって今日も灯し続けています。

 核兵器の使用は、人類の生存とすべての文明を破します。
 核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる緊急のものとなっています。
 第二のヒロシマを
 第二のナガサキを
  地球上のいずれの地にも出現させてはなりません。

 これは「ヒロシマ・ナガサきからのアピール」(1985年2月)の一節です。
 1988年、3千万人のこのアピール署名と共に「広島の火」は長崎の原爆瓦から取った火と合わされて、ニューヨークの第三回国連軍縮特別総会に届けられました。
 同1988年4月、「下町人間のつどい」の人々は、この火を首都東京上野東照宮境内に灯し続けることを提唱しました。上野東照宮嵯峨敞全宮司は、この提唱に心から賛同され、モニュメントの設置と火の維持管理に協力することを約束されました。
 広範な人々のよびかけによって、翌1989年4月、「上野東照宮境内に〈広島・長崎の火〉を灯す会」が結成されました。それから一年余、数万人が参加した草の根の運動と募金により、1990年7月21日、モニュメントが完成しました。
 被爆45周年を迎えた8月6日に星野村の「広島の火」が、8月9日に長崎の原爆瓦から採火した「長崎の火」が、このモニュメントに点火されました。
 私たちは、この火を灯す運動が、国境をこえて今緊急にもとめられている核兵器廃絶、平和の世論を強める全世界の人々の運動の発展に貢献することを確信し、誓いの火を灯し続けます。
 1990年8月 上野東照宮境内に「広島・長崎の火」を灯す会


広島・長崎の火には千羽鶴が奉げられている

 平和を祈り、掌を合わせたあと、唐門左手のチケットを購入、本殿の一角に入っていく。すぐにご神木・大楠が、600年以上、幹の太さ8m以上の偉容を現わす。その横の、透塀に切られた入口に入って行く。右手に歩んでいくと、今は閉ざされた唐門を内側から、左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の見事な彫刻を見る。本殿は公開されていないので外側から拝む。
 そこから、大石鳥居脇の「ぼたん苑」に向かう。4月中旬から5月中旬にかけて開催される「春のぼたん祭」の最中であったからでもある。牡丹は中国の国花であるが、その絢爛豪華な姿から「富貴花」とも言われ、縁起のいい花として愛されている。ここには、110種・600株以上の牡丹をはじめ、芍薬、石楠花などが咲き誇っており、あちこちに俳句の書かれた木札が立っていて、それらを読みながら、ぼたんの鑑賞に酔いしれたひと時であった。
 「パンセ」も可憐に咲いていて、平和を祈願した心はすっかり魅了されてしまった。

原爆の火は燃え続ける

 

(文責:編集部MAO)