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「明治神宮」は今や外国人観光客でいっぱい!

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.24
「明治神宮」は
今や外国人観光客でいっぱい!

 連合国総司令官のマッカーサーが横浜から東京・赤坂のアメリカ大使館に向かい、星条旗を翻し、東京入城式を執り行ったのは、1945年9月8日午前中だった。彼を警護するため第一騎兵師団も東京入りしており、そのうち3000人ほどが代々木練兵場(現在の代々木公園など)に向かうなど、その時から東京の中心部における接収が始まっている。

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「砂塵巻く代々木練兵場が、八日進駐の米軍騎兵第一師団の手で一夜のうちに大幅街路が縦横に走る一大キャンプ・シティーに化けた」(1945年9月10日付「朝日新聞」)という。秋尾沙戸子著『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』によれば、
「代々木練兵場に進駐してきた初日から、米軍は(隣接する)明治神宮に歩哨を立てている。この措置はほかの神社でも行われている。マッカーサーの特別指令によるものだった。……<明治神宮ではその後一〇月一五日に北参道、翌年五月一日に西参道、同四日に第三鳥居にも順次衛兵が立つに至った。(中略)神宮は占領され、参拝はできないと感じた人が多かった。また守護すべき歩哨が却って乱暴した場合があり、社頭に立つ旧敵国軍兵士の姿は、日本人の眼には神域が外国人に犯されたように映じ、参拝客は激減した>(『新修渋谷区史』)

明治神宮本殿
明治神宮本殿

 日本軍と戦ってきた米軍にとって、ことさら明治神宮に隣接する敷地を占拠することは、皇居の向い側にGHQの本部を据えるのと同様に意味があった。折しも、明治神宮においては、戦争終息奉告祭が斎行されたばかりだった。五月の空襲により燃え落ちた社殿の再建工事を行うことも決まり、九月十日には仮本殿地鎮祭も執り行っ」ている。
 そして1947年4月15日付「読売新聞」には、「明治神宮 進駐軍に開放」という見出しで、[渉外局発表]の「明治神宮はこれまで進駐軍の出入が禁止されていたが十四日からこの神域は連合国軍およびその家族に開放され、第一騎兵師団の一部隊から衛兵が出ることになった」という記事が掲載されている。
 さて、今年は、来る2020年に鎮座百年を迎えるため、銅板屋根の葺き替えを中心とした修復工事を行なっており、参道道が規制されている。しかし、本殿に回り道をすれば行くことができる。先日、平日去ったが参詣すると、いろいろな言葉が聞こえ、日本人以上に外国からのお客さまでいっぱいであった。


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南参道の鳥居
南参道の鳥居

 ここで、一つだけエピソードを紹介しておこう。
 日世ソフトクリームランドの「歴史館」の1951年の項目に、「ソフトクリームが日本に上陸」という記事がある。そこに、こうある。
「ソフトクリームが日本に登場したのは1951年。明治神宮で開かれた進駐軍主催のカーニバルの模擬店で、初めてコーンスタイルのソフトクリームが売られました。一般の日本人が、最初にソフトクリームを食べ、フリーザーの運転を見たのがこの時だったのです。そして同年9月より、日世の働きかけによって百貨店などの食堂・喫茶などで次々とソフトクリーム売店が開店し、わが国のソフトクリーム発展の土台となりました」

当時のパーラーの様子

 

(文責:編集部MAO)