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三原橋

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.19
三原橋

 前回の場所から晴海通りを東側に辿り、銀座4丁目交差点を越えて昭和通りに着く手前に三原橋がある。

hidden story

 

 今の中央通り(下の写真でいえば、中央に南北方向に走る大通り)と昭和通り(下の写真では右側上を斜めに走る通り)の間を、京橋川(写真上)から汐留川(写真下)まで三十三間堀川が流れていた。さらに写真を説明しておけば、中央を左右(東西方向)に入っているのが晴海通りで、その三十三間堀川にかかっているのが三原橋、写真からは切れているが、そこを越え、さらに昭和通りを越えて東(左)側に歌舞伎座がある。ちなみに、三十三間堀川の橋だが、手前から在りし日の木挽橋、三原橋、朝日橋、豊玉橋である。
 三十三間堀川は、川幅が約33間(約55m)あったからだそうだが、戦後、瓦礫処理を急ぐようにGHQから東京都へ命令があり、都はこの三十三間堀川へ残土投棄を決定したのである。その埋立は1948年6月開始され、49年7月に完了している。

 ここで伊藤滋さんの記憶を紹介する。『東京、きのう今日あした』でこう記している。
「昭和二十四年頃から、戦災時の瓦礫や残土を処理するために外濠や汐留川、京橋川が埋め立てられました。その象徴は三原橋です。尾張町から昭和通りへ行く間に南北に走る濠がありました。そこに三原橋がかかっていました。濠の両側には、朝鮮や台湾の出身者がバラックを立てていました。その濠を瓦礫や残土で埋め立て、そこに四、五階建てのビルが造られました。私の記憶では、昭和二十四年頃というと、在日の朝鮮や台湾の人たちがまだ幅を利かせていました。朝鮮、台湾の出身者や香港系の華僑が占領軍と手を組んで、この濠を手に入れ、そこに建てられたビルのオーナーになったと思います」

 この時、三原橋を利用して地下街が造られている。下の写真が三原橋で、後方に歌舞伎座の屋根が見える。その地下街は、この橋梁下部がアーチ状の天井を構成している。そして映画館や飲食店が並んだ程度の地下街であったのだが、「日本最古の地下街」の一つとも言われている。

昔の三原橋
現在の三原橋

 この「銀座シネパトス」には、私も行った覚えがある。2006年日本公開というから、10年ほど前のことである。アレクサンドル。ソクーロフ監督のロシア・イタリア・フランス・スイス合作映画『太陽』をここで観た記憶が鮮明に残っているのである。
 これは昭和天皇裕仁を描いた作品だが、昭和天皇をイッセー尾形が、皇后を桃井かおりが演じている。時期的には、御聖断から人間宣言までの等身大の天皇を描くことを狙ったものである。マッカーサーとの会見の様子も描かれている。右翼筋からの妨害もあるかもしれないということからか、海外でセットを組み、二重橋なども撮影している。とにかくDVDも発売されているので、多くの日本人に見てもらいたい映画である。

工事中を示す囲いは、三原橋地下街の北側入口であり、晴海通りの向こう側の、三十三間堀川の埋め立て跡に造成されたビル群が並んでいる。
工事中を示す囲いは、三原橋地下街の北側入口であり、
晴海通りの向こう側の、三十三間堀川の埋め立て跡に造成された
ビル群が並んでいる。

 

 

(文責:編集部MAO)