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東京裁判判決の翻訳作業が行われたハットリハウス

PHOTO STORY写真に隠された真実

STORY.5
東京裁判判決の
翻訳作業が行われたハットリハウス

hidden story

 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決は、1948年11月12日に宣告された。その翻訳作業はMP監視のもとに服部邸(ハットリハウスと通称される)で行われおり、山崎豊子の『二つの祖国』には、こう描かれている。
「結審から四カ月たった(1948年)八月、芝白金三光町の広壮な服部ハウスに、突如、鉄条網が張り巡らされた。
 KEEP AWAY(近寄るべからず)
 十メートル間隔のプレートが、ものものしい。
 服部時計店主の邸宅を米軍が接収し、キーナン主席検事が、三井ハウスへ移る前に一年間、使っていたところから“服部ハウス”と呼ばれるようになったが、有刺鉄線とプレートが張り巡らされ、二十名のMPが警護するに及んで、近隣の住人の好奇心は不安に変っていた。
 間もなく、その服部ハウスに、天羽賢治ら裁判所言語部スタッフ、国会速記者、タイピストら総勢六十人に加え、料理人、理髪師、クリーニング屋の職人も入った。
 服部ハウスは、二年かかった東京裁判の判決文を日本語に翻訳するための、いわば監禁所であった。
 広い芝生の庭に面して、二階建てのがっしりした洋館と、やや離れて平屋の日本家屋が建っており、洋館にはムーラー言語部長、ホールデン言語裁定官、そして賢治ら二世のモニター、日本人通訳、速記者が詰め、日本家屋には二十七名の女性タイピストたちが入っていた。
……翻訳に万全を期すために(国際法学者で東大教授の)横山(喜三郎)教授が招聘されていた」
 また、讀賣新聞が報ずるところによれば、「27日極東国際軍事裁判法廷書記役は東条ほか二十四名の戦犯裁判に対する裁決第一章の翻訳が来る八月二日から開始されると次の通り発表した。『翻訳者は米陸軍省の民間人九名と日本人二十六名で、判決言渡しまで鉄条網に囲まれた服部邸に缶詰になる筈である。判決内容の事前漏洩防止のため服部邸は東京憲兵司令部の監視の下におかれ、MPが常時警備に立つことになる。判決の時期についてはいまだ何等公表されていない』」
 最近、ここに行ってみたが、正門はぴったりと閉まっており、ひっそりしていた。三光坂上の正門から周囲を歩いてみた。その時、たまたま近くに住む老婆が歩いていたので、聞くと、他の所有者に売り払ってしまったとのことだった。きっと再開発によって跡形もなくなるだろう。残念なことである。

(文責:編集部MAO)